頑張っているのに報われないとき。逆に、何もかもうまくいきすぎて、どこか落ち着かないとき。『菜根譚』は、そのどちらの場面にも効く言葉を集めた本です。
『菜根譚』は、中国・明代の末期に洪自誠(こう・じせい)がまとめた処世訓で、前集と後集からなる短い文章の集まりです。書名は「菜根(野菜の根のような粗末な食べもの)をかみしめられる人は、何事も成し遂げられる」という古い言葉に由来するといわれます。儒教を土台に、仏教や道教の考え方も取り入れているのが特徴で、日本でも江戸時代から読まれてきました。
ここでは、人との付き合い方や、順調なとき・つまずいたときの心の持ち方を説いた言葉を紹介します。各名言に原文と、書き下し文をもとにした意味を添えました。
菜根譚の名言
「道徳に棲守する者は、一時に寂寞たり。権勢に依阿する者は、万古に凄涼たり。」
-洪自誠
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原文:棲守道德者、寂寞一時。依阿權勢者、凄涼萬古。(前集1)
『菜根譚』の冒頭の言葉です。正しい道を守って生きる人は、一時は不遇でさびしい思いをするかもしれない。しかし権力にこびへつらう人は、永遠にさびしい評価を受けることになる、という意味です。
この後、物事の奥にあるものを見て、死後の自分まで考えられる人なら、一時のさびしさを選んでも、永遠のさびしさは選ばない、と続きます。目先の損得で迷ったときの判断の軸になる言葉です。
「醲肥辛甘は真味にあらず、真味はただ是れ淡なり。神奇卓異は至人にあらず、至人はただ是れ常なり。」
-洪自誠
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原文:醲肥辛甘非眞味、眞味只是淡。神奇卓異非至人、至人只是常。(前集7)
濃い酒や脂っこいもの、辛いものや甘いものは、本当の味ではない。本当の味は淡泊なものだ。同じように、人並み外れた奇抜な人が優れた人物なのではなく、本当に優れた人はごく普通に見えるものだ、という意味です。
派手さや刺激に目を奪われがちなときに、「普通であること」の価値を見直させてくれる言葉です。
「恩裡に由来害を生ず。故に快意の時、須らく早く頭を回らすべし。敗後に或は反って功を成す。故に払心の処、便ち手を放つこと莫れ。」
-洪自誠
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原文:恩裡由來生害。故快意時、須早囘頭。敗後或反成功。故拂心處、莫便放手。(前集10)
恵まれている状態の中から、昔から災いは生まれてくる。だから思いどおりになっているときこそ、早めに振り返って用心しなさい。失敗の後に、かえって成功することもある。だから思いどおりにいかないときも、すぐに投げ出してはいけない、という意味です。
順調なときは気を引き締め、不調なときは手を放さない。『菜根譚』らしい、両方向からの戒めです。
「径路の窄き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味の濃やかなる的は、三分を減じて人の嗜むに譲る。」
-洪自誠
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原文:徑路窄處、留一步與人行。滋味濃的、減三分讓人嗜。此是涉世一極安樂法。(前集13)
細い道では一歩よけて人を先に通し、おいしいものは三分ほど減らして人に分けてあげる、という意味です。原文はこの後、これこそ世渡りの最も安らかな方法だ、と結ばれています。
少し譲るだけで、無用な争いを避けられることは多いもの。日常のささいな場面で実践できる知恵です。
「世に処するに一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本なり。」
-洪自誠
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原文:處世讓一步爲高、退步卽進步的張本。待人寬一分是福、利人實利己的根基。(前集17)
世の中を渡るには、一歩譲ることを優れたやり方とする。一歩退くことが、そのまま一歩進むための準備になる、という意味です。「張本」は、物事のもとになるもののことです。
原文はこの後、人に接するときは少し寛大にするのが幸福であり、人の利益を図ることは実は自分の利益の土台になる、と続きます。譲ることを損と考えず、長い目で見た得として捉え直す言葉です。
「完名美節は、宜しく独り任ずべからず。些かを分って人に与うれば、以て害を遠ざけ身を全うすべし。」
-洪自誠
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原文:完名美節、不宜獨任。分些與人、可以遠害全身。辱行汚名、不宜全推。引些歸己、可以韜光養德。(前集19)
立派な名声や評判を、自分ひとりの手柄にしてはいけない。少しを人に分け与えれば、災いを遠ざけて身を守ることができる、という意味です。
後半では逆に、恥ずべき行いや悪い評判を、すべて人のせいにしてはいけない、少しは自分の責任として引き受ければ、才能をひけらかさず徳を養える、と説いています。手柄は分け、責任は引き受ける。チームで働く人に響く言葉です。
「家庭に個の真仏あり、日用に一種の真道あり。」
-洪自誠
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原文:家庭有個眞佛、日用有種眞道。(前集21冒頭)
家庭の中にこそ本当の仏がいて、日々の暮らしの中にこそ本当の道がある、という意味です。
この後、真心と穏やかな気持ちで、明るい表情とやわらかな言葉をもって家族と接し、互いの心が通い合うようにすれば、座禅や瞑想よりも万倍まさる、と続きます。特別な修行より、身近な人との毎日を大切にすることを説いた言葉です。
「人の悪を攻むるは、太だ厳なることなかれ、その受くるに堪えんことを思うを要す。」
-洪自誠
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原文:攻人之惡、毋太嚴、要思其堪受。教人以善、毋過高、當使其可從。(前集23)
人の欠点を責めるときは、厳しすぎてはいけない。相手がそれを受け止められるかどうかを考えなさい、という意味です。
後半は、人に善いことを教えるときも、高すぎる目標を示してはいけない、相手が実行できるようにしなさい、と続きます。注意する側、教える側に立ったときに思い出したい言葉です。
「矜高倨傲は、客気にあらざるはなし。客気を降伏し得下して、而る後に正気は伸ぶ。」
-洪自誠
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原文:矜高倨傲、無非客氣。降伏得客氣下、而後正氣伸。情欲意識、盡屬妄心。消殺得妄心盡、而後眞心現。(前集25)
いばったり、人を見下したりする態度は、すべて「客気」、つまりうわべだけの血気から来ている。それを抑えつけてこそ、本当の正しい気力が伸びる、という意味です。
強く見せようとする気持ちほど、実は自分の弱さの裏返しであることが多いもの。見栄を張りたくなったときに、立ち止まらせてくれる言葉です。
「治世に処しては宜しく方なるべく、乱世に処しては宜しく円なるべく、叔季の世に処しては当に方円並び用うべし。」
-洪自誠
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原文:處治世宜方、處亂世宜圓、處叔季之世當方圓並用。待善人宜寬、待惡人宜嚴、待庸衆之人當寬嚴互存。(前集50)
平和な時代にはきちんと筋を通し(方)、乱れた時代には角を立てずに丸く(円)、衰えかけた時代には両方を使い分けるべきだ、という意味です。
後半では、善人には寛大に、悪人には厳しく、普通の人には寛大さと厳しさを合わせて接するべきだ、と説いています。いつも同じ態度でいることが正しいとは限らない、という柔軟な考え方です。
「山林の楽を談ずる者は、未だ必ずしも真に山林の趣を得ず。名利の談を厭う者は、未だ必ずしも尽く名利の情を忘れず。」
-洪自誠
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原文:談山林之樂者、未必眞得山林之趣。厭名利之談者、未必盡忘名利之情。(後集1)
山や林での暮らしの楽しさを語る人が、本当にその味わいを知っているとは限らない。名誉や利益の話を嫌がる人が、名誉や利益への欲を忘れているとは限らない、という意味です。
口にしていることと、心の中は別のことがある。他人を見るときだけでなく、自分自身を振り返るときにも使える、少し耳の痛い言葉です。
「歳月本長くして、忙しき者自ら促る。天地本寛くして、鄙しき者自ら隘くす。」
-洪自誠
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原文:歲月本長、而忙者自促。天地本寬、而鄙者自隘。(後集4前半)
年月はもともと長いのに、忙しくしている人が自分で短くしている。天地はもともと広いのに、心の狭い人が自分で狭くしている、という意味です。
時間がない、居場所がない、と感じるとき、それを狭めているのは自分自身の心の持ち方かもしれない。忙しさに追われる現代にこそ響く言葉です。
『菜根譚』の名言に共通する「両方に備える」という考え方
紹介した言葉を振り返ると、『菜根譚』は一つの方向だけを勧めることがほとんどありません。順調なときには災いに備え、つまずいたときには手を放さない。名声は人に分け、汚名は自分でも引き受ける。善人には寛大に、悪人には厳しく。
これは、儒教の「こうあるべき」という道徳に、仏教や道教の「とらわれない」考え方を重ね合わせた、この書物ならではの特徴といえます。孔子の教えのようなまっすぐさと、老子の思想のようなしなやかさが、同じ本の中に同居しているのです。
どちらか一方に偏りそうなとき、反対側の言葉を一つ思い出す。そんな使い方をすると、『菜根譚』は今の暮らしの中でも役に立つ本になります。
出典・参考資料
洪自誠『菜根譚』。原文と書き下し文は、菜根譚.com の前集・後集の本文で照合しました。条番号は同サイトの番号によります。版本によって番号や文字が異なる場合があります。現代語の意味は筆者がまとめたものです。


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