真田幸村は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、豊臣秀吉や徳川家康に仕えました。
幸村は戦国時代から江戸時代初期にかけての数々の合戦で戦功を上げ、武勇伝に数えられるほどの武将でした。
また、幸村は芸術面でも優れており、茶道や歌舞伎などの文化にも造詣が深かったとされています。そのため、幸村は武芸と文芸の両面で才能を発揮し、多くの人々から尊敬された存在となりました。
本記事では、真田幸村の名言をご紹介します。
真田幸村の名言
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」
– 真田 幸村
「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ、勇士の本意なるべし。」
(命を捨てても目的を達成しなければならない時がやってきたなら潔く玉砕することこそが真の勇士というものだ)
– 真田 幸村
「この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され武士としての面目を立てて頂いた身。このご恩、土地や金子などに到底変えられない」
– 真田 幸村
「部下ほど難しい存在はない」
– 真田 幸村
「大介はこれまで15年間浪人として過ごし、たいしていいこともありませんでした。それなのに戦場の露として消えるのはなんとも不憫です」
– 真田 幸村
「去年より俄にとしより、殊のほか病者に成り申し候、歯なども抜け申し候、髭などもくろきはあまりこれなく候」
(去年より急に年を取り、思いのほか病気がちになり、歯も抜け、髭も黒いところがほとんど無くなってしまった)
– 真田 幸村
「攻撃こそ最大の防御」
– 真田 幸村
「定めなき浮世にて滄浪へば、一日先は知らざる事に候」
(今は乱世だから明日自分がどうなるかわからない)
– 真田 幸村
「真田は日本一の兵 いにしへよりの物語にもこれなき由」
(真田は日本一の武士であり、古くより伝わる物語の中でもそれに匹敵するものはいない)
– 真田 幸村
「これ以上の気遣いは不要」
(自らの窮状に借金してまで救おうとする家臣に対し)
– 真田 幸村
「関東勢百万も候へ、男は1人もいなく候」
(関東には数多の兵士がいるが、男と呼べるのは一人たりともいない)
– 真田 幸村
「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」
(10万石では寝返らないけれど、信濃一国であれば寝返るとでもお思いになったのですか)
– 真田 幸村
「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただ一つのみ」
– 真田 幸村
「日本の半分をもらっても寝返るつもりはない」
– 真田 幸村
「われら親子のことを案じていただきありがとうございます。我らは大坂城に籠城の上は必死に戦いますので、この世でお会いすることはもうないと思います。」
– 真田 幸村
「夢をつかんだやつより、夢を追っているやつの方が時に力を発揮する」
– 真田 幸村
「主君のために死ぬのは武士の習い」
– 真田 幸村
「わしのクビを手柄にされよ」
– 真田 幸村
「必ず再び合戦になる。私たち親子は一両年中に討ち死にするでしょう」
– 真田 幸村
「人は、自分を篤く思ってくれている人と生死を共にしたいもの」
– 真田幸村
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